鹿島神宮周辺の史跡巡察
2月11日、鹿島神宮への参詣に併せて、近くにある史跡を訪れました。
まずは、剣術を嗜む者なら、知らない人はいないであろう、塚原卜伝(ぼくでん)の墓参。
卜伝は、鹿島氏4家老の一人・吉川覚賢(あきかた/本姓:卜部)の次男。父の剣友・塚原安幹の養子となり塚原高幹(号:卜伝)と名乗りました。
父より「鹿島古流」、義父より「天真正伝香取神道流」を修得、「鹿島新當流」を開き、「剣聖」と謳われました。
真剣勝負19回、戦場37回をはじめとする数百回において、矢傷6ヶ所以外は、斬り傷も突き傷も受けなかったとされます。
若い頃の宮本武蔵が斬り込んだのを、食事中だった卜伝はとっさに鍋のフタで剣を受け止めた、という名場面が有名ですね。
しかし、実際は武蔵が生まれたのは、卜伝が亡くなった後なので、これは作り話です。
菩提寺は焼失したそうですが、山麓に墓所のみが現存しています。
私は未見ですが、2011年に堺雅人さん主演で、NHK時代劇「塚原卜伝」が放映されたこともあり、近年、鹿島神宮駅から鹿島神宮へ行く途中に、冒頭写真のような卜伝の石像も建立されています。
続いて、天狗党の墓へ。墓地が建ち並ぶ小山の中へ、大型車では躊躇されるような細い道、行き止まりの少し手前に墓所があります。
元治元年9月、鹿島へ逃れた天狗党を幕府軍が追討、天狗党は行方方面へ逃走しました。鹿島で捕縛され打ち首となった23人は馬捨場に埋葬されましたが、明治11年に有志が改葬、「殉難諸士の碑」を建立しています。合掌。
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