鹿島神宮に詣でた理由
前回、前々回の記事で、鹿島神宮に参詣したこと、その理由について書きました。
実は、今回詣でた理由はほかにもあります。
その一つは、要石への参詣です。
昨年末に、「令和6年の元旦は特別な日」と公言したり記事に書いたりしたところ、能登の大地震が起きてしまいました。
一昨年に続き、二年連続で大きな事件を予測したかのような結果となり、「次はどこ?」と聞かれることもあるのですが、私は預言者ではなく、あくまで歴史研究からの視点での発言なので、地震だけでなく、火山噴火や社会事件など、様々な分野で今後に起きうることを推測しています。
そして、「暦」や「易経」、「風水」「陰陽」などを語ると、なんだかオカルト的になったり、歴史研究者が迷信を信じるのか、と言われそうですが、これらが成立した「理由」については考察するべきと思います。また、常々言っていることですが、「歴史は繰り返す」ため、「温故知新が必要」ということです。
前置きが長くなりましたが、鹿島神宮の「要石」に地震や噴火を鎮めるようお願いして参りました。
地中の鯰(ナマズ)を封じ込めた石とされ、見えていない部分が地中深くの鯰の頭を押さえつけているとされます。
ちなみに香取神宮にも要石があり、水戸光圀公が7日7晩、掘らせたが石の先端に辿り着けなかったという逸話が残されています。
「要石」を迷信だと言う方もいますが、それならば寺社参詣も意味が無くなります。
「信じる力」が何かを変え、動かすのではないかと、少なくとも私は信じて願っています。
さらにもうひとつ。祭神の武甕槌大神(建御雷神・タケミカヅチ)は、雷神、剣神です。
殺陣演武など剣を扱う者が、ここに詣でることは必須ですね。
そして今回の参詣とともに、「武芸者」「幕末史研究者」として、近隣の史跡2ヶ所を訪れました。
歴史好きな方は、もうお気づきかもしれませんが、続きは次回記事にて・・・
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